1950から60年代にかけてのジャズを振りかえる

子供の頃の思い出

昭和23年生まれの私は子供のころから今まで音楽はひたすら聴く側であった。
もちろん子供のときは学校で歌を歌い、笛も吹いたし、学生時代はギターも弾いたが
いずれも特に情熱が沸かず、才能ももちろんなかった。
しかし父親が会社の仲間を家に連れてきてハワイアンバンドの練習をしていたのを
覚えている。
私がまだ小学校へ上がる前から数年間、月に何度かそんなことをしていた。
だから幼いころからギターやウクレレ、その他ハワイアンに必要な楽器には
なじみがあったし、ちょっと触るくらいなら大人たちも怒りはしなかった。
しかし、それだけのことでとにかく耳にはその当時の音がまだ残っている。
ベースやスティールギターなど5,6人で演奏するわけだから、たった2間の社宅は
身の置き所もなくじっと見入っているのが常だった。
私自身は小学校でも特に楽器をやるわけでもなくごく普通の子であったが、
中学に入って父親に買ってもらったベートーベンの交響曲のレコードが
気に入ってそれからクラシックを聴くようになった。
聴くといっても当時はCDも何もない時代だし、レコードはベートーベンしかない。
ラジオも当時はAMラジオしかなかったので、そこからクラシックの番組を探し出して
聴いたものである。
中学時代の音楽の時間につきに1回くらいはレコード鑑賞があった。
メンデルスゾーンのバイオリン協奏曲やチャイコフスキーの白鳥の湖などを
聴かせてくれたのを覚えている。
特に中学1年の一番最初の音楽の授業で聴いたブリトンの
『青少年のための管弦楽入門 ヘンリーパーセルの主題による変奏曲とフーガ』
という長い題名の曲は今でもよく覚えている。
そうしてクラシックをすこしづつ聴くようになって、やがて高校に入ると、
さらにアメリカのポップスが周りでよく聴かれるようになった。
さらにビートルズ旋風が巻き起こった。
高校に入るときに父がいわゆるコンソール型ステレオを買った。
レコードを聴く以外にFM放送が聴けるのが魅力だった。
そして徐々にジャズに気が引かれるようになった。
本屋でスイングジャーナルなどを立ち読みしたりして
ジャズに少しづつ傾いていった。

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